牛見智彦
戦後まもなく建てられた、粗末な木造平屋市営住宅。汲み取り式のトイレの匂い消しの芳香剤がそこはかとなく香る6畳間。そこが母の実家のダイニング兼私たち帰省家族と母の3姉妹の寝室。
狭いながらも彼女たちの遠慮のないおしゃべりを聞きながら、決まって朝はトーストやコーヒー・紅茶を始めとする洋食が準備される。それがとても楽しみだった。何せ普段の朝食は純和食。洋食はおしゃれなものという感覚だった。またここでの朝食は、口や手を出さずとも、誰かがいろいろと私たち兄妹の世話を焼いてくれる。
「紅茶の砂糖、何杯?」「ヨーグルト食べる?」
その間もけたたましい3姉妹のおしゃべりは続けられ、ややもするとたいしたことでもないのに、些細なことで姉妹の喧嘩が勃発。また始まったか、という祖母の顔を見ながらのすばらしくにぎやかな朝食は、私にとって帰省中の風物詩だった。
その朝食の主役はいつもトースト。私の前にはたっぷりのマーガリンと蜂蜜の2段仕様、表面テカテカ、分厚い「黄金色」トーストが出来上がっている。これをぽたぽた甘い汁を垂らしながら食べる。いつも最高の味だ。これ以上のおいしいトーストを私はいまだに知らない。
ところがある朝、私の前にあるトーストの表面の光具合がいつもと違う。
「おばちゃん、トーストがおかしいよ。いつもと違うよ。」
「蜂蜜がなくなって、買うの忘れたんよ。マーガリンは塗ってあるから。」
「マーガリンだけじゃいけんのんよ」
私は号泣した。わがままを言うなと叱られても、だだをこねて朝食を食べなかった。
50年以上経った今、当時の記憶で「黄金色トースト」を作ってみるが、どうもあの頃の味とは違う。私の舌が老化したのか、マーガリンや蜂蜜やパンの素材が違うのか、それともあの時代、あの場所であの人たちと一緒に、というトッピングがないと味わえないものなのか。
多分一番最後が正解なんだと思う。
(完)
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